人間、一度くらい「あぁ、風になれたらどんなに良いことだろう」と思う瞬間があると思う。いっそ肩の幅で風を切って自由に大地を駆け回りたいとか、大空を好きなように旋回して飛び回りたいとか。。 そう、 欲深い生き物なのである、我々は。ただこの世の中生きていれば幾度となくそれに非常に近い感覚のエクスタシーを味わっているはずなのだ。そういう輩も、小学校の時初めて自転車で坂を駆け降りた時、坂の惰性で加速がつき、両端をペダルから離したあの瞬間。あれが多分生まれて初めて「風になったかもしれない」という体験だったかもしれない。
昨年あたりから、かつてない自転車ブームが来ているという。その勢いは雑誌市場にも広がり、月刊誌が10数冊も乱立し、書店のエンドは必ずといって良いほど自転車特集コーナーが設置されている。自転車と一口に言っても、皆さんが日々乗っているものからはては競技用のものまで、ジャンルも非常に広い。自転車で通勤する人を「自転車ツーキニスト」と呼ぶようになり、マニアの間では、マウンテン、クロス、BMXときて、はてはピスト式自転車というやたらスピードが出るものまで人気を博している。
そんな中、その自転車で風を切ることを商売としている人達がいる。
プロロードレーサー。
ロードレースとは100年以上の伝統を持つヨーロッパで人気の自転車スポーツで、その日本での最高峰である全日本選手権を10連覇中の女性プロロードレーサー、 沖美穂。橋本聖子に憧れてスピードスケート界から自転車に転向し、国内最強チャンピオンとしての称号を欲しいままにし、国内外のメディアでも注目が集まってきている彼女。現在シドニー、アテネに続く3回目の五輪として北京大会を最終ターゲットに彼女が日々何と葛藤し闘っているのか、編集部が特別ロングインタビューを敢行した。
― まずは自転車レースを始めようと思ったきっかけを教えてください。
沖美穂(以下、沖):きっかけは、もともとスピードスケートの選手をやってまして、前橋の方に住んでいて、スケートの実業団に所属していました。橋本聖子さんがスケートと自転車を両方やられていたころに、聖子さんの世界選手権のエキシビションに、応援に行ったんですよ、先輩たちと一緒に。
― 橋本聖子さんとは何かご関係はあったんですか?
沖:それまではナショナルチームで聖子さんと一緒にヨーロッパ遠征に行ったりしてお世話になってました。雲の上の方で、すごい方でした。それまでは自転車競技って見たことがまったくなくて、競輪場に行くのも初めてでした。で応援に行ったとき、自転車にはディスクホイールっていうのをつけているんですけれど、すごい音やキラキラ輝いているのが、華やかに見えたんですね、(自転車の世界が)スケートの世界より。テレビカメラもたくさんあったし。カメラは橋本さんを追いかけてたんですけど、すごいスピード感のある競技だなって。「いいな」って思ったのがきっかけですね。
― それまでスポーツとして自転車に乗ることはあったのですか?
沖: もともとスピードスケートの夏場のトレーニングで、自転車を使ったトレーニングはしていましたけど。練習で少し乗ったりしたことぐらいはあったので、少し興味はありましたけどね。
― 小さいころ自転車が好きだったとかそういうことはなかったんですか?
沖:もうまったく無いです。スピードスケートでオリンピックに行きたいなって思って練習ばかりしていたので。
― 転向するきっかけは?
沖:色々と限界を感じていたのと、一度スピードスケートを辞めて普通に働いていた時があったんですけど、そのときにオリンピックに行きたいっていう気持ちを諦めきれませんでした。それであの時自転車の世界を見ていたし、高校のときのスケート部の先生に相談したら、挑戦してみたらどうって言われて、橋本さんに連絡してもらいました。(橋本さんに会って)相談したら、「とりあえずやってみるかどうかは私の合宿で1週間やれば、自転車ってどうやって練習するんだとかわかるから、それからやるやらないを決めたら」って言われて、普通のOLを辞めないで、合宿に行ってから決めたんですよね。
― スピードスケートを断念された理由は?
沖:スピードスケートっていうのはタイム競技なんですよね。でも全然タイムが出なかったことと、すごいスランプっていうのが1年ぐらい続いて、トレーニングしてもタイムが出なくて、そういうところで自分は精神的にも体力的にも限界だなって思ったからですね。
― 自転車競技でも、もしかしたら同じような壁にぶつかるんじゃないかという不安はありませんでしたか?
沖:今、私がやっているロードレース競技っていうのは順位を争う競技で、一人じゃなくて150人ぐらいで走る、すごく多くて人を利用できる競技で、そういう壁を感じるスランプはあるだろうなっていう予測はしていました。けれど私がスピードスケートを辞めたのは21歳のときで、精神的な弱さや若さがあったんですけど、自転車をやっていく上で次は逃げないぞと決めてました。一度逃げたし、そういう部分で諦めたことがあるので、同じようなスランプがきても全然問題ないだろうと思っていました。やっぱりあれだけ思いがあったスケートを捨ててまで次をやっているから、また同じ姿を見せたくないというのがありました。
― ロードレースは日本ではあまりメジャーではないので、一般の方向けに説明をお願いします。
沖:え~とですね、私も知らないまま始めたのですごく難しいんですけれど(笑)。個人競技でもあり、団体競技というかチーム制をかねた要素がたくさんある競技です。言い方がが悪いかもしれませんけど、誰が一番ズルイか、ずる賢いか。力があって、頭も使えて、走りながら相手を見ることができて……。そういうところで1着になれる競技なんですけど、奥が深いですね。関わっているのは人間ですし、1着は一人しかなれないので。でも協力していかないと途中まで行かない部分もあるし。
(解説:)ロードレースでは個人で1位になれるのは一人だけ、チーム別の順位はそれぞれのチーム毎で競技者全員のタイムを合計して、一番速いチームが1位。
― 個人のタイムも重要だけれど、チーム全体のタイムも重要ということですね。
沖:結局、そのチームの個人より、チームだとジャージを着てスポンサーしていただいている会社さんの名前で走るので、やっぱりスポンサーさんは名前とか、その人がうちの看板をしょって走ってくれてるっていうメリットを感じた方が、スポンサーしていただいていると思うんですけど。それによっていろんな商品が売れるとか。
― 競技で、沖さんがモットーとして心掛けていることってなんですか?
沖:私は今、イタリアのチームに所属しているんですけれど、自転車がメジャーなヨーロッパ以外の国から私は来ているので、ちょっと違う事情があります。簡単にオリンピックに行けないんですね。ポイント制度っていうのがあって、レースに出るにはチームに所属しなければいけません。チームに所属しているとエースとアシストっていう役割があって、エースだったらいいですけど、アシストになったら風除けになったり、後ろの補給車から水を運んだり、無駄なエネルギーを使うことがいっぱいあるんです。その中でも、もし私がアシストだったら、そういうこともしながら上位に食い込まないといけないので。通常であれば役割を果たせば、チームとしてはそのレースを辞めてもいいんです。チームの子が一人優勝すれば。ただ、その中でオリンピックを目指すなら、途中で放棄しちゃいけないし、エースがダメなとき、もしかしたら自分にチャンスがあるかもしれなくて、自分が作ったチャンスがモノになるときだってあるんです。例えば、わざと仕掛けたりして飛び出て、そのまま優勝しちゃったりとかあるんで、そういうチャンスをうかがいながらしたたかにやっていかないと、自分勝手なことをしていてはチームから除外されます。そういうのが分からないようにするためのずる賢さが私にはなかったんで、監督に他人の為だって言われたら全部その人のために力を使って、自分には何も残らない。チームはそれでもいいんですけど、私の目標はオリンピックに出場して闘うってことなので、さらにやらないと、結果が出せません。常にそういういところは心掛けていますね。
― きっかけになった橋本聖子さんについてお願いします。
沖:橋本さんって、みなさんのイメージどおりすごく真面目だし、他人の何十倍も練習されます。自転車を始められたころは選挙に出る前で、選挙活動もされてたんですけど、ちょうどそのころ、時間が空いているころって朝3時ごろなんですけど、3時~4時ぐらいから起きてトレーニングされてたし、やっぱりその中でも私を呼んで面倒を見ていただいたんですけど、すごい余裕をもって接していただきました。でもトレーニングはすごく集中していて、倒れるまでやる姿がすごく目に焼き付いているんですけれど、私もトレーニングはそうとうやりますが、倒れるまでやるのって相当だと思うんですね。そういうことを何度もやっていたので、素晴らしいと。普通の並大抵の精神力じゃないなと。あと周りに対する気配りとかが、全然違う方だなぁと。著書を読んだときに、実家に帰ったときは自分の両親にも三つ指をつくような方って書いてあったので、まさにそのとおりだなって。
― 一番最初にレースに出場されたときの心境ってどんな感じでしたか?
沖:正直、ロードレースっていう自転車競技がわからなくて、わからないってことにすごく緊張していて、やっぱり夜も眠れなかったですね。初めてのレースのときとか。
― 結果はどうでした?
沖:初めてだったんですけど、日本で行われたレースで11番(20人中)でした。今考えたら笑えるんですけど、一生懸命走って、最後の1kmぐらいから、もう本当に自分の100%の力を出しました。そんなもたないのに。でもみなさん自転車のことをよく知っていて、分がどこで行けばいいのかを知ってたんですね。私は無我夢中で飛び出たのはいいんですけど、全員にごぼう抜きされて終わったんですよ、力尽きて。
― その時の感想をお願いします。
沖:最初は勝てると思ってたんですよ。体力には結構自信があったからなんですけど、これは力だけじゃないんだなって思いましたね。その駆け引きっていうのが私にはわからなかったし、テクニックもなかったんで、力だけで走っていました。結局、ほかの選手に勝てなかったのは何も考えていなかったからでした。
― そういうレースが何度か続いたわけですね。
沖:そうですね、10番台が2回ぐらい。
― その後、日本選手権を10連覇されたわけですけど、そのときの感想は。
沖:10連覇っていうと10年ですよね。最初の5~6年は、全然何も考えていませんでした。ものすごく自信があったし、力の差もはっきりしていたし、すごく楽だったんですけど、海外に行って自転車競技のことを覚えてからは、違うことばかりで。トレーニングとかは一緒ですけれど、競技方法が全然違っていて、結局日本にいたときは、自分が先頭を走って自分のペースで行って終わりでした。それが向こうだと自分のペースどころか、その集団のペースについて行くのが大変。初めのころは100人ぐらい、自分より強い選手がいて、誰が先頭を引いているのかもわからないぐらいのスピードで、どういう展開で誰が勝ったのか全然わからないレベルだったんですよね。そういうのを徐々に覚えていって、帰ってきたときに、余裕はあったんですけど、日本と海外とのズレが出てきました。簡単に勝てるんじゃないかと甘く見るようになりましたね。日本にいたときから、常にその同じ選手たちとやっていたのでわかってたんですけど、そのときぐらいから、みなさんも私に対して「沖選手は外国でやってて、強いんだろうな」っていうイメージできていたので。最初の2~3年はそのイメージがよかったんですけれど、その後みなさん練習してきて、どうすれば私に勝てるだろうって。私はたくさんレースをしてきていますが、時差とかいろんなものがあって、絶対に勝たないといけないってこだわるようになって、小さなレースをするようになりましたが、そういうことをすごく去年の10回目のときに色々と思い出しました。
― 何年目ぐらいのときからそう思うようになったんですか?
沖:7~8年目ぐらいですかね。それからだんだん、ほかの日本の子も力をつけてきた選手がいて、競技人口も若干増えてきて、そういう面でプレッシャーというのを初めて感じるようになりました。9回目と10回目を比べると違う感じがしました。もう絶対これは勝たないといけないと、初めてレース前に冷や汗をかきましたね。ほかの人は絶対破ってやろうっていう気持ちなんでしょうけど、私は、絶対破られたくないし勝ちたいけど、どうなんだろうなっていう不安もちょっとあります。
― プロ契約するのとしないのとでは、どういう違いがあるんですか?
沖:結局プロ契約というのは、海外のチームに所属するっていうことです。
― プロ契約を初めてしたときの気持ちを教えてください。
沖:私はヨーロッパに憧れてとか、海外に行けば強くなると思って行ったことはなかったです。最初フランスに行ったんですけど、英語とか言葉がまったくできなかったので、すごく怖いっていうか、外人が怖いっていう気持ちでした。初めていったのがもう27歳になってからという遅いときでしたし、ヨーロッパに行かないとオリンピックの表彰台に立つのは絶対に無理かなって思ったので、その目標だけで海外へ行きました。だから友達もいない、しゃべられない、でも自転車のレースのときだけ唯一自分を発揮できたときだったと思います。
― そのときの糧になったのはやはりオリンピックという目標ですか?
沖:そうです。まずこの上で走っている人たちに私を覚えてもらって、話せるようにもなりたかったし、とにかく強くないと弾かれる世界なので、絶対に負けちゃいけない、こぼれちゃいけないと思って。日本に帰っても、やる場所はないし、もうやめるしかなかったので、帰ってこれなかったんです。帰りたいと思ってましたよ、最初の頃は何度も。
― くじけそうになったことは?
沖:あるんですけど、スランプがなかったんです、ずっと。自分で伸びていくのがわかるのが楽しいですね。
― オリンピックに対する思いを教えてください。
沖:小さいから、もともとスピードスケートをやっていたので、夢はスピードスケートでオリンピックに出ることでした。けれどそれはできなかったので、自転車競技をめざすようになったんですけど、まずシドニーに出て、まったくわからないまま、自転車を始めてすぐだったので、ルールもほとんど知らないままで。それでレース中に転倒しちゃったんですね。雨が降っていて、下りでオーバースピードなのにテクニックも知らず、普通に考えたら車とかバイクでも滑るから、少し気を付けて走らないといけないじゃないですか。ドライな道のイメージのまま行くと、コロって。それをまったく考えないでやっちゃって。でもそれでもゴールはしたんですけど、それじゃあダメだし、日本だとレースに参加する選手が2~30人のところ、オリンピックだと70人ぐらいいて、すごくビックリしました。けど、そういうのにも慣れないと。選手と選手の距離間とか。それで、オランダの有名な名門チームに入って、すごく勉強できてアテネに行けたんですけど、今度は余裕がない。勉強したことがいっぱい詰まっているし自信もあるし、みなさんも期待してくれてたんですけど、プレッシャーで。前の日から、のどが渇いて渇いて、いい状態でレースができませんでした。
― 北京オリンピックについては?
沖:北京オリンピックで3回目の出場ですね。今33歳で、北京のときは34歳になるんですけど、いろんな経験をしてきて、今ではヨーロッパに仲間もたくさんいますし、いろんなスタッフ、いろんなチームの監督さんを知っています。環境にすごく慣れてきましたし、やるべきことは何か、自覚してやれるようになりましたし。自分の気力・体力・精神力、一番いいときだと思います。
― 言葉の方もだいぶ慣れてきましたか?
沖:そんなペラペラじゃないですけど、コミュニケーションは大丈夫です。
― 競技で、快感だなって思う瞬間ってありますか?
沖:あぁ~やっぱり優勝する時ですか。日本では何度かあるんですけど、海外で優勝するのって、そう何回もありませんが、表彰式のときに日の丸が立ったときがありました。そのときヨーロッパの選手が、「えぇ~なんで日本人が」っていう目で見られているのがすっごくうれしい。それだけこう、歴史的にない国なので、なんでそういう国の人に負けるんだっていう思いでしょうね。本当にすごいなって言ってくれる人と、すごくくやしそうに言ってくれる選手がいるので、一生懸命やった甲斐があるなって思います。
― レース中に快感だと思う事も?
沖:すごく苦しいときに、苦しく見せないようにしたり、苦しくないときにすごく苦しい顔をして、相手を動かしたりする、そういうのがすごく楽しいですね。でもそれはすごく力のあるとき、調子のいいときじゃないとできないので、調子が悪いときはすごく辛い競技になります。距離が長いので。
― 沖さんから見た世界のレベルと日本のレベルの差を教えてください。
沖:まったく違いますね。競技として違いますね。ヨーロッパだと6~8人がチームになって、そのエースの子のために風除けになったりエスケープしたり、最後の50mぐらいまで先頭を引っ張っていって、その子がいけるところまで行ったり、そういうレース展開があるんですけど、日本のレースはそういった展開がなくて、耐久レースのようになっていますね。
― 練習方法など違いは?
沖:基本的には一緒です。
― チームワークを作る面で何か違いはありますか?
沖:日本はみんな個人でやっているのでチームワークってものがないですね。まぁ個人の闘いになっちゃいます。海外に行ったときに個人じゃ闘えないってのがわかると思います。あと人間同士の関係というのがすごくあるんですよ、走り位置とか。最初の頃は私が無理やり前に出ようとすると、叩かれて弾かれて、「邪魔だ!下がれ」って言われるけれど、やっぱり何回も何回もそこにいって、叩かれようが何されようが行って結果を残すことですね。結果を残すと行ってくれって言われるようになります。結局、新人が前に出て転ばれたりすると危ないじゃないですか。それがすごくストレスなんですよね、後についていく人が。だけど上手な人が前にいると逆につきたい。そのポジションに上るまで、結構時間がかかるんです。その選手は強いんだって思わせるまでが。
― それは信頼関係ができてくると違ってくると?
沖:そうですね、違うチームの子でも、じゃあ今日スタート前に途中で行くから一緒に逃げないかとか、そういう話をします。それから風がある日は一番後ろにいるとすごくキツイんですよ、風があたってしまって。で、私は小さいから不利なんですけど、そういう仲間がいると中に入れてくれたり、中に押し込んでくれたりするんですね。そういうこととか、もちつもたれつなんですよね。入れてくれって言われたときに入れてあげたり、私が入れてくれって言ったときに入れてもらったりそういうのがものすごくあるんですよ。
― 日本と海外とでは自転車の仕様は違うんですか?
沖:いえ、同じです。今は日本でも一般の方なのに、すごくいい自転車乗ってますよね(笑)
― 自分で開発した練習方法とかは?
沖:いやぁ、ないと思うんですけど。なんとなく、選手は5~6時間、7~8時間乗るのは普通だと思うんですよ。ただ、毎日続くかどうか。私が得意なことは、単調なことを、たとえば毎日何時に起きて4時間乗るとか、続けることが得意ですね。そういうことが苦手な選手っていっぱいいると思うんですけど、休みたいな~とか今日は違う方向行きたいな~とか。だから同じ道を1年間通うのは苦じゃないですね。同じところを行ったり来たりすることも苦じゃないです。
― 単調なことでも続けることが出来る秘訣ってあるんですか?
沖:秘訣というか、自分でいつも思っているのが、がんばることより、我慢することの方が先だと思うんですよ。我慢できないと、がんばることもできないので、とにかく我慢。小さいころからスピードスケートをやってきて、そういうことを教えられてきました、我慢ってことを。自転車のかっこうをして1時間いなさいとか。1時間ってすごく大変なんですけど、小学校のころからそういう教育を受けてきたので、我慢するっていうことは、普通の人よりはできるかなって。そういう風に徹底教育されたので。
― 一般の方にも薦められる練習方法ってありますか?
沖:一般の方はたぶん平日は仕事があるので、練習は週末だけになると思うんですね。なので、やっぱり楽しくやったほうがいいと思います。練習に行って、途中でカフェに行ったりお茶したり、写真撮ったり、そういうことをしていくとすごく楽しいと思います。普段の生活で風を切ることってないと思いますし、楽しくしていただければ。私はもう闘うために自転車やってるんで、楽しいとは思わないですけど。表彰台とかに立つ時とかは楽しいですけれど、普段のトレーニングで楽しいとはほとんど思わないです(笑)
― 普段の移動のとき、自転車は使わないんですか。
沖:使わないです。あと、歩かないです。車ですね。自転車って地についてないですよね。だから普通の人より歩けないです。たまに東京に行ったときに、電車で移動してるだけで、もうゼーゼー息を切らしますね。電車の中とかで、立っていられないです。ついてる筋肉とかが違うと思うんですけど、立つことにも慣れてないですし、東京の方って電車の中で立ってても揺れないじゃないですか。でも私はガタガタガタって揺られるんですよ。一般の方ってそれに慣れてやってるわけじゃないですか、毎日。あれすごいなって。みんなどうやって立っているのかなって、ジーッと見ているんですけど。本を読んでる人もいるけれど、絶対無理です。吊革につかまってるかしないと無理ですね。
― 車は大丈夫ですか?
沖:大丈夫です、でも車酔いはしますね。バスは前に座っていたら大丈夫です。
― ところで小さい頃は何になりたかったですか?
沖:たぶんパン屋さんとかそんなのだったと思うんですけど。小さいころ、みんなそんなこと言ってませんでした?(笑) お菓子屋さんになりた~いとか。給食のパンの工場見学に行ったあとになりたいって思うとか、そういう感じだと思いますよ。パン屋さんとかお花屋さんとか。
― 中学生ぐらいの頃は?
沖:ちょうどサラエボオリンピックのころで、黒岩彰さんが失敗しちゃって北沢さんって方が銀メダルだったんですけど、それを見て絶対出たいって思いました。橋本さんも出てましたけど。
― それがきっかけだったんですか。
沖:小学校のとき北海道だったんで、授業でスピードスケートを全員やってたんですよ。やっぱり強くて速いとモテるし、人気者になれるので。最終的にスケートを続けていたのが6年生のときに1~2人ですね。
― 今、もし自転車競技をやっていなかったら、スケート以外で何をやっていたと思いますか。
沖:いやぁ、想像ができないです。普通の非日常的な暮らしを20年以上やっていて、普通の暮らしっていうのをしたことがないので想像がつかないですね。
― まだ早いとは思いますが、引退後の事は考えていますか?
沖:考えないといけないんですけど、今は考えたくないですね。オリンピックまでは余計なことを考えたくないです。辞めたあとはなるように。生活していかないといけないので、もう何でもやれればいいかなと。
― 沖さんは姉御肌なので(笑)指導者は向いてるんじゃないのかなと思うんですけど。。
沖:これまでコーチやいろんな指導者の方を見ているので、コーチを見る目はあると思ってるんですけど、指導者って裏方じゃないですか。裏方仕事って一番大変じゃないですか。選手って一番いいところばかりで、みんなの前に出て表彰台に上るのも自分だし、勝ってよかったのも自分だし、良いとこ取りじゃないですか。そういう裏方の仕事って私にできるかなぁと。大変だなって思います。まして私なんて難しいこととかわがままとか言ってるんですよね。そんな私をコーチとかが、もうなんとかしてやってくれてるんで、こういう人間を指導するのってすごいことだと思いますよ。裏方って素晴らしいと思います。とても今の自分の器では指導とか、そういうのはできそうにないですね。アドバイスとかだったら、いろんなことを経験しているんで、したいなっていう気持ちはあるんですけど。
― ギョーザが好きってことなんですけど、何でもスーパーのギョーザはダメと。
沖:全然、おいしくないじゃないですか。できたてで作りたての方がおいしいじゃないですか。いつもコーチの奥さんが、お料理がすごく上手で、ギョーザも作ってくれるんですけど、一度に50個以上食べたことがありますね。たぶん80個ぐらい作って、ほとんど食べちゃいましたね。おいしかったです。
― あと白米と玄米を50%ずつにして食べる、とか。
沖:今はやってないんですけど(笑) きっかけは今お世話になっているワナビーさんの社長がそういう玄米っていうのはすごく生命力があるよっていうことで。全部混ぜると、食べづらかったんですが、混ぜると食べやすかったんで。
― 日本で好きなアーティストとかいらっしゃいますか?
沖:年末に音楽番組をいくつか見てて、コブクロさんのがいいなって思いました。「蕾(つぼみ)」、ですかね。ラップとか速いものはダメなんです。
― 自分自身で「闘ってるな!」っていう自覚はありますか。
沖:海外に行ってるときは、自分のジャージに日の丸つけて走ってるんですけど、日本人なんだっていうのはすごい意識してますね。絶対勝ってやるし、くらいつきたいっていう気持ちはあります。あと見習いたいのは、ロシアの方から来ている方もいて、あっち側の方から来る人は、本当に一生懸命やっていて、ご飯を食べるために来ているんですよ。そのオーラっていうのはものすごいです。レース中に、ここを1番に通過すれば5万円ですよとか3万円ですよっていうボーナスポイントがあるんですけど、そこは目の色変えてきますね。私はトレーニングとして勝ちたい、向こうはお金のために稼がないと食べていけないんだっていう気持ちで、ぶつかったときに負けたんですよ、最初に。この差ってすごいなって、この考えの違いって。もっと自分は貪欲にいかないといけないんじゃないかなって。豊な国から来ている人と、電気もつかず水道も時間で決められているようなところから来ている人もいて、全然違うんだなっていうのが言わなくても伝わるんですよ、レース中に。そこは見習わなきゃなって思いますね。
― 賞金ポイントってレース中に何か所かあるんですか。
沖:ない場合もあるんですけど。大会によって違います。
― レースの賞金ってどれぐらいなんですか。
沖:もうバラバラで、ワールドカップで1着取ると30万円ぐらいでしたっけ。それをチームのみんなで割るんですよ。ボーナスポイントのお金もチームで分けます。
― レースを辞めたいと思ったことは?
沖:ないですね。
― 気持ちがなえた時に、盛り上げるためにすることってありますか?
沖:落ち込むときってあるんですけど、冷静になって、自分を横において、自分を見ます。ギャラリーの一人になったときに、出来ない自分を見せたくないなって思うんですよね。で、やっぱり見られている人数が多ければ多いほど、「がんばらないと」と思うし、逆に応援している方が去られるのが嫌なので、自分を客観視して、この人たちがいなくなったらどうしよう、一人ではできないなって思います。そこでぐっとこらえるっていう方法で気持ちを盛り上げていますね。
― 今、掲げている目標を教えてください。
沖:オリンピックで必ず表彰台に立ちたいです。
― 最後に読者に向けて一言、お願いします。
沖:自転車競技ってまだまだ知られていませんが、ずっと見ていただくことによって、例えば私でもいいんですけど、私をずっと追いかけていただくことによって、「すごい面白い」、「あっ、今、沖選手がしかけた」と、イメージで言えばマラソンのような感じなんですけど、マラソンより面白くて奥が深いので、そういうのを見てもらえるようにしてもらいたいです。これを機会に、応援してもらいたいですね。
― 有り難うございました。
沖 美穂 プロフィール
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沖美穂オフィシャルサイト








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